大判例

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大阪高等裁判所 昭和26年(ネ)750号 判決

控訴人(原告) 株式会社日本可鍛鋳鉄所

被控訴人(被告) 国

主文

原判決を取消す。

尼崎市潮江字アラキ二番地の一池沼八反九畝六歩に対し兵庫県知事が昭和二三年一一月二九日為した買収処分による被控訴人の所有権取得が無効であることを確認する。

訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする、旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、

控訴代理人において、本件買収池沼(以下大池と称する)附近の農地は大池の西方を流れる猪名川支流の水によつて潅漑し、地主は従来大井水利組合に加入していたが、農地の減少に伴い余水だけで十分賄えるところから大正一一年一二月頃潮江区の地主は右水利組合から脱退を決議した有様で、本件大池の水を潅漑用にあててきた事実はない。尤も大正一三年頃の大旱魃に際し部落農会が非常応急策としてポンプで本件大池の水を昼夜兼行揚水したことがあるが、附近僅少の水田を潤ほしたのみで所期の成績をあげ得ず、却つて費用の捻出に苦慮したのみである。又本件買収のなされるや部落農会員が昭和二四年頃池の西側を南北約三百尺東西約四〇尺に亘り埋立をなしこれを宅地化せんと企図したが、控訴会社の苦情により翌年秋に至り農道開設と用地変更の許可手続をして糊塗せんとした事実もあつて、これらの事実からみても本件大池が附近農地の潅漑に何等必要のないものであることは明らかであり、買収申請が本件大池を宅地化して不当に利得せんとする不法の目的に出たものであることも明白である。仮に本件の池により直接間接にその水を潅漑に利用し得るとしても、これを利用し得る農地はせいぜい潮江字アラキにおいて四反二畝一五歩、字東ソウゲにおいて六反七畝一八歩、字才加畑において五反一畝二歩、字高内において一町一反八畝四歩総計二町七反九畝九歩であり、そのうち旧自作農創設特別措置法(以下自創法と称する)により売渡を受けた所謂解放農地は字アラキにおいて三反二四歩字東ソウゲにおいて四反五畝歩、字才加畑で一反一畝一五歩、字高内において二反二畝一八歩、総計僅かに一町七畝二七歩である。被控訴人は字西ノ坪、上佃、下佃、新家、明治、ヱソコ地区方面も本件大池の水掛りであると主張するが、これ等の地区は地勢上から到底本件大池の水を利用し得ず、強いて利用しようとしてもその経費莫大で到底収支償わない状況である。従つて仮りに本件大池が農業用施設として買収の対象となり得るとしても、これが買収を求め得る解放農地は総計僅かに一町七畝に過ぎないのに、これと殆んど匹敵する広さを有する本件大池を買収するが如きは、著しく必要の程度を超えるもので公法上の権利濫用というべきであつて、此の点からみても本件買収は無効である、と陳述し、

被控訴代理人において本件大池の水を農業用に利用していた農地は潮江字アラキ、同東ソウゲ、同才加畑、同高内、同四ノ坪、同上佃、同下佃、同新家、同明治、同ヱソコの各地区に亘つて総計約一四町四反歩余で、そのうち買収の行われた解放農地は総計八町五反歩余に達するが、本件大池の買収申請人等についてこれをみればその耕作反別及びその内解放農地の反別は末尾添付別表のとおりであつて、本件大池は明らかに農業用施設である。と補述した外、いずれも原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

(証拠省略)

理由

尼崎市大字潮江字アラキ二番地の一池沼八反九畝六歩(本件大池)がもと控訴会社の所有であつたところ、尼崎地区農地委員会は自創法第一五条による播磨長三郎外三九名の買収申請に基いてこれを農業用施設として、買収時期を昭和二三年一二月二日とする買収計画を樹て兵庫県知事は右買収計画に基き同年一一月二九日付買収令書を昭和二四年六月頃控訴会社に交付してこれが買収処分をなしたことは当事者間に争がない。

控訴人は右買収処分は無効であると主張するのでその挙げる理由について以下順次判断する。

一、買収申請者の資格について、

控訴人は右買収申請は尼崎市大字潮江部落農会なる団体の申請であつて、かかる団体は自創法施行令第二四条第一項の規定に照し申請資格のないものであると主張するが、成立に争のない乙第二号証によると右買収申請は控訴人主張のような団体の名をもつて為したものでなく、播磨長三郎外三九名が連名し共同で申請したものであることは明らかであり、而して自創法第一五条は共同の農業用施設に対し共同して買収の申請をなすことを禁じていないから、かかる共同申請それ自体は違法ということはできない。然し右申請人四〇名中播磨長三郎外一六名が自創法第一五条に所謂自作農となるべき者に該当しないことは被控訴人の争わないところであつて、被控訴人は地区農地委員会において右一七名を控除した二三名の申請を相当と認めて買収計画を定めたものであると主張するが、右農地委員会においてこの点について審査を尽くした事跡はこれを認め得る資料はなく、却つて成立に争のない甲第一〇号証の一に徴すると尼崎地区農地委員会は本件大池の買収計画樹立に当り申請人の適格について何等検討するところなく、漫然買収計画を樹立したものと認められる。而して自創法第一五条において所謂解放農地の自作農となつた者の申請に基いて政府が当該農地の利用上必要な農業用施設を買収する旨定めているのは、畢竟これを買収の上申請人に売渡すことを終局の目的としているものであることは、同法第二九条の規定によつても容易に観取し得るところであるから、買収申請資格のない者を共同申請人としてなした買収申請は不適法で、これに基いてなした買収計画の樹立及び買収処分は違法といわねばならない。

二、本件大池が農業用施設であるか否かについて、

(1)、成立に争のない乙第四号証、甲第一三号証の三、原審並当審における証人橘千代蔵、当審証人添田亀五郎、川西善三郎の証言を綜合すると、本件大池はもと訴外橘千代蔵外数名の所有していた田地合計一町九畝六歩を大正五六年頃訴外キリン麦酒株式会社神崎工場の建設に際し、その工場敷地の地盛をする土を採取するため、同麦酒会社が買受けて深さ約八尺程の表土を堀取つたため、その掘跡に雨水がたまつて自然に池となつたもので、同麦酒会社では土地が不要となつたところから、当時潮江部落の区長をしていた右橘千代蔵は部落名義でこれを譲受ければ、容易に地目を池沼に変換することができ、税金も低廉であり、且つ旱魃時に附近農地の潅水に役立て得るものと考え、同会社から無償で譲受け部落代表の意味で橘千代蔵、岡村栄三郎、添田亀五郎の共有名義に登記をしておいたが、別段潅漑用の施設を施すこともなく、その後昭和七年頃訴外小野亀吉に対し、底水五尺を残し潅漑用に水を使用し得る約束でこれを養魚池用に譲渡し、同人は養魚に失敗後昭和一〇年頃これを訴外杉本貞雄等に売渡し、更に転々して控訴人は昭和一八年三月頃石炭ガラ捨場とする目的でこれを買受け爾後池の東部で約二反程を埋立てた(本件買収は公簿面により一町九畝六歩としていたが後これを八反九畝五歩と地区農地委員会で訂正したことは成立に争のない甲第五号証の二によつて明らかである)ものであることが認定でき、

(2)、成立に争ない甲第九号証に当審検証の結果を綜合すると、本件大池には潅漑用溜池としての引水並びに放水施設は何もなく、附近の土地は殆んど平担で、池の西方及び北西方の農地は却つて池よりも高位にあり、南側の水路との境も堤塘といい得る程のものでなく、水路と池とは殆んど落差がないから、満水時でも南側水路え自然流出し得る水量は僅かで、水車又はポンプを仕掛けて揚水するのでなければ池の水を潅漑用に利用し得ない状態であつて、旱魃時ポンプで揚水するとしても、池水も自然枯渇している筈であるから、これによつて潅漑し得る農地の反別は僅少の範囲に過ぎないものと認められ、

(3)、前記証人橘千代蔵、原審証人目堅多可子、辰野広太郎、当審証人小畑喜一郎、上田善三郎、辻本久雄、添田亀五郎、阪本太三郎、播磨正信、岡本末太郎の各証言、右橘証人の証言によつて成立を認め得る甲第七号証、成立に争ない甲第一三号証の三、五、並びに当審検証の結果を綜合すれば、尼崎市大字潮江地区は旧来農地約六五町歩あつて農民は大井水利組合に加入し本件大池の西方を流れる猪名川支流大井川によつて潅漑して来たが昭和初年頃から急激に工場地帯化して農地が年と共に減少するのに水利費が減額されないため地主の負担が加重され、これに堪えかねるのと、土地は低地で大井川の余水だけで十分賄えるところから昭和一一年頃潮江区の地主は右水利組合から脱退するに至つた有様で、本件大池の水も、その西側及び北西側の高地の田甫に苗代を作る際など水車で水を揚げることがある程度で平常殆んど潅漑用に使用することもなく、大正十二年頃の大旱魃に際し一度ポンプで池の水を南側水路に揚げたことがあつたが、これも僅か七八町歩に一通り水を流すことができた程度で却つて多大の費用の捻出に困惑したことがあつた以外、かような揚水をすることもなかつたことが認められ、前記証人辻本久雄、小畑喜一郎、上田善三郎、辰野広太郎、阪本太三郎の証言中右認定に反する部分は信用しがたい。

以上本件大池形成の由来、その地理的外形的の諸条件、池水利用の状況等を勘案するときは、到底これを前記自創法第一五条に所謂農業用施設とは認め得ないものであつて、従つてこれを農業用施設と認めて為した本件買収処分は重大な瑕疵があるものといわねばならない。

三、農地利用に対する本件大池の必要度について、

のみならず、仮りに本件大池を農業用施設と認め得るとしても、叙上判示の利用状況から見て判るように、本件大池がなくとも附近の農地の潅漑に支障を来すわけでなく、只旱魃時など万一の場合多少とも水の補給をなし得る点において有れば有るに越したことがない程度のものであつて、その必要度は極めて僅少のものと認められるし、しかもそれは本件買収申請人等の解放農地のみに限つたものでなく、又解放農地の全部にとつてのものでもなくて、近傍の農地一般(本件大池には普通潅漑用溜池のように水利権の範囲即ち池掛りの範囲なるものはない)に対して同様の関係にあるものである。さればこそ前認定のように一旦これを潮江部落の所有としながら、後これを養魚池として訴外小野亀吉に譲渡し、その後転々して終に控訴会社の所有に帰し、池の東部約二反歩程は埋め立てられたが、附近農民は別段これに対し苦情を申入れたり対策を講じた事実もないし、更に当審検証の結果に成立に争のない甲第一〇号証の四、第一三号証の三、四に徴すると、本件買収後売渡を受けた者等において、昭和二五年頃池の西端で東西約三四十尺、南北約五〇間に亘り埋立てを為し控訴会社からの苦情によりこれを幅約一間半の道路に狭ばめた事実が認められる。尤も右埋立については当審証人村田勇太郎、坂本太三郎、上田善三郎等は池の西側の農道を修覆するためであつた旨証言するのであるが、本来潅漑用水を特に大切にする筈の農民が、池畔にある僅かな限られた農地のための農道を修覆するため溜池を埋め立てるという如きことは首肯しがたいことであるが、それは兎に角として、真に農道修覆の為め池の一部を埋め立てるものならば、当然護岸施設を為した上その範囲内の埋め立てをなすべき筈であるのに、本件においてはかかる処置をしたと認めるべきものがなく、只漫然三四十尺の幅に埋め立てたものであつて、控訴人主張のように此の事実のみで直ちに宅地化を図つたものとまで断定し得ないけれども、本件大池の潅漑用としての必要性が極めて軽微なものであることを有力に物語つているものというべきである。かくの如く極めて軽微な必要度であり、且つ買収申請人の解放農地のみに対するものでない本件大池を申請人の解放農地の利用上必要なものと認めてなした本件買収処分は瑕疵あるものといわねばならない。

以上説明するとおり本件買収処分には右一、二、三に判示するような瑕疵があるので、かかる瑕疵は本件買収処分を無効ならしめるか否かについて考えるに、右一、の買収資格については多数の共同買収申請人中に申請資格のない者が混つているのを看過して買収処分がなされても、爾余の資格ある者について買収処分を相当と認められるならば、これが為め直ちに買収処分を無効ならしめるものでないと解するのが相当であつて、右二、及び三の点については通例農業用施設なりや否やの判定を誤つた瑕疵又は農地利用に必要なりや否やの誤認は買収処分の取消事由で当然無効の事由とはならないものと解せられるが、本件の如き広大な池沼の買収処分について以上のような一、乃至三の瑕疵が相集積しているにおいてはその瑕疵は重大であつて右買収処分は到底行政処分としてその効力を生ずるに由ないもので即ち無効の処分といわねばならない。

してみると、右買収処分による被控訴人の所有権取得の無効なことの確認を求める控訴人の本訴請求は理由があるからこれを認容すべきであつて、これと反対の原判決は取消すべきものである。

よつて訴訟費用の負担について民訴法第八九条第九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉村正道 太田外一 金田宇佐夫)

(別表省略)

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